雑感(2015年) | IMCニュース

雑感

 今まで国内で行った所をつらつら考えてみました。多分他の人に比べて多くもなく、少なくもないと思います。遊びで行った所、仕事で行った所、若い時に行った所、年を取ってから行った所。思い出すと面白いかもしれません。その時の感性で人も物も景色も違ってくるかも知れませんから。ちょっとやってみます。小さい頃の行き先は親が一緒でした。つまり連れて行ってくれた所です。鎌倉に住んでいましたから鎌倉以外の所を思い出してみます。一番は東京です。父の実家は港区芝でした。祖父母の家には良く行きました。都電が走っていた桜田通りに面していた家です。隣の角は酒屋さん。従兄弟たちが5人位いて、一緒に周囲で遊んでいました。近くには愛宕山、金毘羅さん、東京タワーなど意外と恵まれていた環境です(子供が遊びまわるのに)。泊まりに行くと寝室は2階の八畳間で祖父と一緒に寝ることが多く、寝ながら昔話を聞かされました。一番印象に残っているのは祖父がシベリア出兵に従軍した話です。厳寒の地で寒くて大変だったと、現地の情景が浮かぶような話でした。武勇伝もあったのかもしれませんが残念ながら覚えていません。ただ寒い光景だけが残っています。従兄弟達には『良くあんな臭い爺さんと寝られるな!』とからかわれていました。内孫でしたが一緒に住んで居なかったので可能だったのかもしれません。祖父の話でもう一つ覚えているのは、2階の部屋が道路側から傾いていたことです。力を入れて寝てないとコロコロ転がってしまいます。祖父は『これはね関東大震災の時に傾いてしまったのだ』と言っていました。すごく納得してすごいなーと思いました。後で父たちに確認しなかったので本当の所は今も分かりません。でも夜祖父の布団の中で都電の音を聞きながら寝ていました。父方の実家の次は母方の実家です。母の実家は静岡県の三島です。関係ないかもしれませんが内の両親は国道1号線同士の結婚です。三島の家には大体8月のお盆の時に行くのが多かったと思います。家は国道から駅側に向かって200~300mぐらいの所で近くに冷たい畑の小さな水路が流れていました。そこには祖父母、叔父家族が住んで居ました。田舎の家を他に知りませんでしたからこれが田舎って感じていました。今考えると立派なお屋敷ではありませんが、中庭に池があり洋間の離れがありました。昔にしてはいい感じの家だったと思います。三島へ行くと一番の楽しみは楽寿園です。富士山の湧水の噴水のある遊園地です。
スクーターのような乗り物がありそれが一番のお気に入りでした。三島は今でも富士山の湧水の街ですが当時小さな子供には知る由もなくただ川や貯水地での水遊びが最高でした。
冷たいきれいな川で、海っ子である私には塩水を飲まないで泳げた思い出が濃厚に残っています。気持ち良い水加減でした。一度祖父が大社の傍のお寿司屋さん、あめや、今でもあるそうですが、一人連れって行ってくれました。祖父が『何にする?』と聞いたので『のり玉』って答えました。すると祖父が『お前は通だね』と、『すし屋は卵焼きが肝心だからね』と。小学生の子供は正直寿司は『のり玉』しか食べたことないし、それしか知らなかっただけなのですが。実は私、今でもさびが嫌いでサビ抜きで寿司屋では通しています。その頃から成長していません。

井口和幸

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